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Chapter3

「ロザリーさん、おはよ!」

わたしはまた人間の女の子と一緒に暮らすことになった。今度は、半分だが人間の身として。

「おはよう、ネネ。よく眠れたか?」

ネネの格好はTシャツとハーフパンツだった。寝間着のようなものは持っていないらしい。

「うん、ロザリーさんは今日も朝が早いね!」

「空が明るくなると、どうも目が覚めてしまってね」

人間の体には、生活リズムというのがある。周囲が明るくなると目が覚めて活動的になり、周囲が暗くなると、眠くなり動けなくなる。

…人形としてアリスと生活していたときに、その事は十分に理解していたつもりだった。まどろんだアリスの表情と、ベッドの中での寝顔は、今でも鮮明に思い出せる。しかし、それが我が身のものとなると、中々に不思議な感覚を覚えた。見えない何かに、自分が突き動かされているような…とでも形容すればよいのだろうか。未だに慣れないが、決して不快だとは思わなかった。

「あっ!朝ご飯だ!ロザリーさんが作ったの?」

「ああ。やることがなくてね。なにぶん、料理を作るのは初めてだから、あまり自信はないのだが…」

「おなかぺこぺこ!いただきまーす!」

ネネは勢いよくわたしの作った朝食を食べていく。トーストと目玉焼き、そしてサラダ。昔アリスが料理好きな父親と一緒に作っていたときの方法を思い出しながら作ってみたものの、所詮は元人形であるわたしに、人間が食べるに耐えうる朝食は作れるのだろうか…

「美味しい!トーストカリカリだね。どうやったの?」

杞憂だった。ひとまず、安堵する。

「ネネのキッチンに、上からも下からも熱線の出る調理器具があっただろう?」

「上からも下からも…そんなのあったっけ?どこのこと?」

「ええと…炎が出て鍋を加熱できる器具があるだろう?」

「コンロのこと?」

「…コンロというのか。そのコンロの下に、四角い空間がある。一目みたとき、昔似たような、トーストを焼くための機械があったのを思い出したんだ」

「魚焼きグリルを使ったんだ!」

「あれは、魚を焼くためのものなのか?」

「一応ね。でもこんなに美味しいトーストができたんだから、きっとトースト用でもあるんだよ」

「そういうものか?」

「そういう事にしちゃおうよ!」

「ふむ…そうか」

「名前は…トースト焼きグリルなんてどうかな」

ネネはすこし興奮している様子だった。

「ところで…ロザリーさんが昔みたトーストの道具ってどんなもの?」

「この四角い…トースト焼きグリルよりも小さくて、縦に入れるものだったな。ほどよくパンが焼き上がると、トーストが上にせり上がるんだ」

「それは『トースター』だね」

「この家には、無いのか?」

「んー。わたしはいつもパンは焼かずにそのまま食べちゃうから、おいてないんだ」

「そうなのか。すまない、パンを焼いたのは余計だっただろうか?」

「うんうん!そんなことない。ロザリーさんのパン、すっごく美味しかったよ」

「そうか。それなら何よりだ」

「でもグリルでパンを焼くのって、大変じゃない?すっごく美味しかったけれど、ロザリーさんが大変なら無理しないで」

「昔の…アリスの家にあった道具よりは確かに大変だったかもしれないな。常にパンの焼き具合をチェックしなければ、焦げてしまう。でもわたしはやることもないし、パンが焼けていく様子を眺めているのもなかなかに興味深く面白い。気にしないでくれ」

「そっか。じゃあまた楽しみにしてるね!」

「ああ、わかった」

「ところで、ロザリーさんはもう食べた?」

「…まだだな。わたしは半分人の体で、そして人の体は食べ物を食べなければならない事を失念していた」

「あはは。じゃあ、もう一枚のほうはロザリーさんが食べる?」

「ネネのお腹がすいてしまうだろう?」

「いいよ、お腹が空いたら早弁しちゃうし。それよりロザリーさんと一緒に食べたいな。せっかくのトーストが冷めちゃうよ、はやくはやく!」

「『ハヤベン』とは何だ…?」

「それはあとで。食べよ!」

「…あ、あぁ」

「じゃ、学校に行ってくるね!」

ネネは支度をテキパキと済ませると、学校へと向かっていった。学校というのは、国中の全ての子どもたちに対して一斉に教育を行う施設なのだそうだ。アリスは…家庭で教師に教わっていた気がする。教師とアリスが机に向かっている間、わたしはアリスの部屋の窓から、曇り空を眺めていたことを覚えている。

「なにそれ、アリスって、貴族の子なの?」

そのことを昨日ネネに話すとそう言ったが、「貴族」とは何だろうか。わたしには、アリスと一緒に遊んだ時のこと以外は、何もわからなかった。ネネたちの住むこの土地やその文化、そしてネネ自身のことを、わたしはもっと知りたいと願った。

ネネの家は郊外の住宅街にある。「郊外」というのは大きな建物のある「市街地」から離れたところで、「住宅街」というのは、人の住む住宅が密集して存在する地域のことだ。

たしかに近くにはたくさんの住宅があったが、住民同士の付き合いはこれといってなく、隣の家に誰が住んでいるか、お互いに誰もしらない。だから、わたしがネネと暮らし始めたところで、幸か不幸か、その事に気づく者はここには存在しなかった。

アリスの家はすぐ近くに他の家があるわけではなかったが、よく他の住民とお茶会を催していたのを思い出す。この土地には、そういった交流はなさそうだった。

お茶会の際には、アリスは必ずわたしを連れて行ってくれた。友達の前でアリスがわたしに話掛けると、皆がアリスを笑う。人形に話しかけても仕方がないでしょう、夢見がちね、と。それでもアリスは、わたしに話しかけ続けてくれた。

わたしはそれが嬉しくて。でも同時に、それはアリスのためにはならないような気もして。そして、あの頃のわたしには、人の体を持たないわたしには、話しかけてくれたアリスに応える術が無くて。

…昔を思い出してしまった。

…為すべきことがないからだ。

ネネが学校へと向かったあと、わたしは家の掃除をすることにした。

ネネの家にある掃除機は、アリスの家にあるものよりずっと小さかった。形も大分異なっていたから、ネネに聞くまで気づかなかったほどだ。音もずっと小さかったが、それでもホコリはみるみるうちに吸い込まれていった。

ネネの家は、一人で住むには広い。だが、すぐに綺麗になった。

…手持ち無沙汰。

…そうだ。ネネは、どんな事をしたら喜んでくれるだろうか。




「わー!すごーい!これ、ロザリーさんが作ったの!?」

「ああ。やることも無くてね」

わたしが学校から帰ると、すっごくかわいくてきれいなドレスがハンガーに掛かってた。「不思議の国のアリス」みたいな、青と白のエプロンドレスと、大きなりぼんのついたカチューシャ。

「…あれ、わたしの家に、布とかお裁縫の道具ってあったっけ…?」

「一階に倉庫があっただろう?あの中に、ミシンと布があったんだ。ずいぶんと古い布のようだったから、もう使わないのだろうかと思って使わせてもらった。…もしかして、使ってはいけないものだっただろうか?勝手に判断して申し訳ない」

ロザリーさんは、眉をひそめて心配そうな顔になった。いやいやっ大丈夫だよ!

「ううん。そんなことないよ!わたしも忘れてたんだもん。この布だって、ロザリーさんみたいに、いつ使われるのかなーって、物置の中で心配してたんじゃないかな?」

「そうか…たしかに、そうかもしれないな。」

「ありがと!って、きっと思ってるよ。ロザリーさんになら、バッチリ似合うだろうし!」

「…それはネネのためのドレスなんだが…」

「…え…え!?」

「わたしには少し小さいんだ。布が少し足りなくてね。着れなくはないのだが…」

わたし、こんなかわいいドレス似合うかな…?それに、なんだかちょっと恥ずかしくって…。

「すまない…やっぱり余計だっただろうか?」

ロザリーさんの困った顔を見ると…つい口がうごいちゃう。

「そ、そんな事無いよ!こんなにかわいい服…わたしに似合うか不安でびっくりしちゃっただけ!」

「似合う。少なくとも、わたしはそう信じている」

ロザリーさんは、今度はすっごく得意げな顔になった。わかりやすいなぁ。…うーん。冷酷な殺人鬼には、やっぱり思えないよ。

「そうかな?」

「ああ。だから、ネネ、着てみないか?…この家には他に誰もいない。万が一、似合わなかったとしても、誰にもわからない」

「それは、そうだけど…」

今日のロザリーさんはなんだかすごく楽しそうで、積極的で…。

断る気持ちには、なれなかった。




わたしは、人形だ。…いや、だった。

だから、わたしは今まで、ずっと着せ替えられる側であり続けてきた。それはわたしにとっての日常で、それ以外の可能性を、考えたこともなかった。

だけれど。わたしは、ネネに素敵な服を着てほしいと思った。綺麗に着飾ったネネを、わたしは見たいと思った。そして、できれば、ネネには喜んでほしいと思った。…昔わたしにさまざまな服を着せてくれたアリスも、こんな気持ちだったのだろうか。

***

「どう…かな?」

「半分ほど、自画自賛になってしまうのだが…すごく似合っているぞ、ネネ。…で、できれば…」

「ん?」

「くるくると回ってくれないだろうか」

「くるくる?」

「ダメだろうか…?」

「こ、こう…?」

ネネが腕を内側に曲げながらくるくると踊った。

少しはにかんだネネと、揺れる青と白のエプロンドレス。

…かわいい。端的に言って、かわいい。ここは地の文だから、恥ずかしいことでもそのまま表現できる。かわいい。

「かわいいぞ、ネネ。ありがとう」

…ああ、そうか。

なんとなく、アリスがわたしを着せ替えて喜んでいたあの顔の意味が、感情を使って理解できたような気がした。

「ロザリーさん、すっごく表現がストレートだね」

ネネは恥ずかしそうに顔を赤らめた。…かわいい。

「そうか?かわいいからかわいいと表現したまでだ。かわいいぞ」

「あ、ありがと」

「こちらこそ、着てくれてありがとう。ネネ…その…」

「ん…なに?」

「その、だな…クローゼットで見つけたこのドレスを…」

…日が暮れるまで、2人のファッションショーは続いた。